絵里子は、就職活動を開始して最初の面接に向かうことになった。リクルートスーツというものを着て初めて街を歩くということになぜか緊張していた。真新しいリクルートスーツを着て、身が引き締まる思いになると同時にちょっと大人の女性になったような気分を味わっていた。当然、ブラウスやパンスト、パンプスも真新しいが、せっかくなので下着も上下白の新品のものにして初めての面接に臨むことにした。
・・・そして、なぜか着替えのリクルートスーツ一式(これまた真新しいものであるのだが)に加えて下着などの予備も持って家を出た。
今日面接に向かうところは、とあるバスルームリフォーム会社の一次面接だ。書類選考に受かったので面接という運びになっているのだが、その面接はかなり変わっていて、辞退する人も多いという面接だ。一次面接に受かればいきなり最終面接に進めるというなんとも怪しげな感じであるのだが、書類選考に受かった者すべてが目にするはずの「面接のご案内」と題された案内書を読めばその理由が分かる。しかし、絵里子は逆に興味を持ったのであった。
選考内容は、面接会場で着ているリクルートスーツのまま入浴を実践し、その感想を述べたり、バスルーム全体のデザイン性や機能性などをレポートするというものであった。着替えを持参するように指示されているのはそういう理由からだ。かなり斬新な面接だ。しかも、ウォッシャブルのリクルートスーツを着用してくることが義務づけられているという按配であった。本当にこんな面接が世の中にあるのかと疑うようなものであるが、紛れもない現実の面接であった。絵里子はこんな面接になぜか心がひかれ、ぜひとも参加してみたい・・・真新しいリクルートスーツのままお風呂に入ったらどんな気持ちなのか体験してみたいという好奇心から一次面接を受けることを決意したのであった。
このバスルームリフォーム会社は新規顧客獲得の一つの柱として、「バスタイムのもう一つの楽しみ方(着衣入浴)」を提案している。帰宅したら居間やキッチンなどの生活空間に足を踏み入れずに、そのままバスルームに直行し、着衣入浴を楽しみ、衣類は脱いだらすべてバスルーム脇の全自動洗濯機に放り込めば良いというわけだ。水洗いできない服を着ている場合はハンガーにかけるなどしておけばよい。家庭内での各種ウイルス等の感染症対策の一助にもなるということもウリにしてプロモーションしている。その一連の行動を就活生に実践してもらい、感想を述べてもらうということを一次面接で課している、社員だけのフィードバックでは足りないと実情があるのだろうか、それとも新卒の若い世代のデータが欲しいからか、理由はともかく客観的にみて思い切った珍しい選考方法であるので、にわかにマスコミの注目も浴び始めていた。
早速、絵里子の面接がスタートする。皺一つない綺麗な真新しいリクルートスーツに無意識に視線を落とす。皺にならないように電車の中では座らずに立っていたが、それが無駄な努力、徒労であったことに今気づく。もうまもなく、全身ずぶ濡れになるのだから・・・。
面接では一般的な質問などあたりさわりのないことを聞かれた。まだ最終面接があり、志願者に万一、決定的ともいえる人格的な欠点があればそこで落とせるので、今日の段階ではインタビューは形式的なもので、本来の目的は絵里子を含めた就活生たちによる「バスタイム」のフィードバックデータをもとにした商品開発にあるということを絵里子は理解していた。また同時に、早く「その時」を待ち望んでいた。
いよいよ、バスルームでの実践の開始だ。初めての就職活動での面接、初めてのリクルートスーツ着用、はじめての着衣でのずぶ濡れ体験・・・と絵里子にとってすべてが初めて尽くしであった。
バスタブにはお湯が満たされていたので今すぐ入るのかと思ったら、まだ入らないらしい。考えてみれば自宅でもいきなりバスタブには入らず、まずはシャワーを浴びるか桶でお湯をくんでそれを身体にかけてからだ。ここでもその一般的な手順に従うようだ。リクルートスーツをシャワーでスカートの裾のあたりだけ濡らしてみたり、桶でくんだお湯を少しずつスカートにかけてみたりしてずぶ濡れになることに慣れていく。徐々にスーツを濡らしていくと、だんだんと身体全体が濡れたリクルートスーツに引き締められていき、重たさを感じてきた。
面接担当者に着衣入浴の率直な感想をレポートしたり、バスルーム全体の印象や、インテリアなどに対して感じたことなどを誠実に答えていった。そのせいか、面接担当者の絵里子に対する印象は上々だ。しばらくするといったんバスタブから出て涼んだ。そして面接担当者にシャワーをかけられた。自分でシャワーを浴びるのと人から浴びせられるのはまったく感覚が異なるのを感じた。それからまたバスタブに入ってはジャケットを脱いでブラウスとタイトスカート姿になった。ブラウス越しに下着が透けてしまうのが恥ずかしかったが、ジャケットを脱いで腕がかなり自由に動かせるようになり、上半身は裸であるかのような感覚に気持ち良さを感じていた。バスルームの中は、甘く優しいほのかなキンモクセイの香りが漂っている。アロマ効果でリラックス効果も抜群であることも細かく担当者に伝えた。服をきたままお風呂に入るという、一般的には非日常的に思われることが、絵里子にとっては日常的行為になってもおかしくないように思えてきた。バスタイムを生理現象とさほど変わらないものと位置づけていた絵里子にとって、生活の余白、つまりは娯楽と同じようなものと捉えることもできると感じ始めた。そのことも面接担当者に感じたままに伝えた。
面接が終わると、面接担当者からなんとその場で一次面接合格の旨を告知された。これまたなんとも変わった仕儀である。最終面接の日程等は追々連絡があるとのことだ。
面接担当者とちょっと雑談をした際に、絵里子は今自分が着ているリクルートスーツが新品のものであること、今日が初めての就活面接であることなどを話すと驚かれた。
「時間の許す限りゆっくりしてから帰ってください。想像以上に楽しんでもらえたようでこちらとしても大いに収穫がありました。ありがとうございました!」
と面接担当者は言うとバスルームから出ていった。
絵里子はすぐに着替えて帰って良いのであるが、このまま時計が止まってほしいような気分に浸っていた・・・。
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