絵里子は就職活動中で、2着保有しているリクルートスーツを着まわしながら、ほぼ毎日のように面接や説明会などに出席し忙しい毎日を送っていた。
夏の暑い中、説明会会場などでは時々空調の悪い場所もある。就活生は会場ではリクルートスーツのジャケットを脱がないのがマナーとされているため、こうした状況下では汗ばみ不快な思いをし、余計なストレスが蓄積される。絵里子は、ここ最近の面接の感触が良くなく、悩んでいた。そのこともストレスを増幅させる要因となっていた。
「(このままでは精神が崩壊する・・・!)」
と絵里子は感じていた。このまま就職活動を続け、結果が出なければノイローゼになりかねない・・・と自覚症状があるので、まだ精神性を保てている。しかし、このままでは心身のバランスを崩すことは分かっていた。
気の置けない友達と映画を観に行ったり、遊びに行ったりするのも良いが、たとえ友達同士でも自分の好き勝手に事が進むわけではないので、誰にも気兼ねなく自分だけで行うことができる気晴らしを考えた。
面接の帰り道・・・自宅周辺の田畑を眺める。青々とした稲が元気に育っている田んぼもあれば、休耕田、野菜を育てている畑などもあった。
「(あっ、そうだ!家の近くの田んぼで泥んこ遊びしよう!)」
絵里子の住む田舎町には辺り一面に田畑があり、子供たちは今でも男女関係なく泥んこ遊びに興じている。絵里子も子供の頃、よく友達と泥んこ遊びをしたことがあった。今では農家も後継者不足に悩んでおり、後継ぎがいないために耕作放棄地となっている田んぼが増えている。その中のいくつかは子供たちの遊び場として開放されており、誰でも自由に泥んこ遊びができる場所が町の中には点在していた。絵里子は、まさにそんな場所で童心に戻った気分で泥んこ遊びをしたい気分になった。身体を包み込む生温かい泥の感触や、泥の中に埋もれて癒された子供時代の事を思い出した・・・。
ある平日の朝、強い日の光で目覚めた。その日は大学も休みでアルバイトも面接も何もなく終日自由であった。絵里子はこの日とばかりに泥んこ遊びをしにいくことにした。中学時代に卒業記念に学校の制服のまま友達同士で田んぼにとび込んで泥だらけになって遊んだ記憶が蘇ってきた。
あの時は高校受験に失敗し、しばらくの間、心の傷として残って払拭できずにいた。その喪失感を制服のまま泥んこ遊びをするという行為によって不思議と気持ちが晴れたという経験があるのだ。
絶対に汚しちゃいけない服のまま後先考えず泥んこ遊びをする方が、絵里子のモヤモヤとした今の気持ちをあの時のように晴らしてくれるのではないかと考えた。
そして、絵里子はクローゼットの中を覗き込んだ。真っ先に目に入ってきたのは、最近買ったばかりの白のフリル付きロングフレアースカートだった。さすがに気が引けた。その隣には、最近活躍している黒のリクルートスーツとチャコールグレーのリクルートスーツが並んでいた。チャコールグレーのスーツはよれよれになりつつあった黒のリクルートスーツの後継にと購入したばかりでまだ数回しか着ていない。それもまだ泥だらけにするには早すぎる・・・と思った。
気が付くと絵里子は黒のリクルートスーツを取り出していた。絵里子にとってはこれまでの就職活動がうまくいっていないため、縁起の悪いリクルートスーツともいえた。このスーツを着て泥だらけになって「流れの悪かった過去の就職活動」とスーツもろとも決別したいという願望が一気に胸の奥から湧き上がってきた。
絵里子は黒のリクルートスーツに着替えると、自由に遊ぶことが可能な近所の休耕田に向かって歩き出していた。田舎町なのでほとんど人とすれ違うことも無い。泥だらけになった後も、両親が仕事から帰ってくる前に帰宅すれば何の問題もないので絵里子は安心してリクルートスーツで泥まみれになることが可能なのだ。
目的地に着くと懐かしい泥の匂いと、記憶がまざまざと蘇ってきた。そして、パンプスだけは脱いで就職活動で着こなしたリクルートスーツ姿のまま田んぼの中に足を踏み入れた。すぐさま脚をとられて転びそうになるがなんとか転ばないように踏ん張った。これから泥んこ遊びをするのに、汚れないように・・・・と条件反射的にとった自分の矛盾した行動をおかしく思って笑った。
次の瞬間だった。
「えい!」
と声を上げると泥の上に座り込んでみた。タイトスカート越しにお尻には柔らかく生温かい泥の感触が伝わってきた。水っぽくないので、まだスーツの生地を通して下着まで湿ってきている感覚はなかった。絵里子は自分のリクルートスーツの後ろ部分がどういう状態になっているのかは見えないが、大変なことになっているであろうことは容易に想像できた。
もう、どうにでもなれと思って、後先考えずに絵里子は泥を手ですくってはスカートやジャケットに塗り手繰っていった。そして、泥の中で寝転んだりうつ伏せになったり、這って進んだりして思う存分泥んこ遊びを楽しんだ。
立ち上がって先ほどまで何一つ汚れなどなかったリクルートスーツを見下ろすと、スカートとジャケットの境目も分からないほど泥で覆われていた。
さすがに今の格好のままでは帰宅できないと思ったので、絵里子は、用水路から噴出している水でスーツに着いた泥をできるだけ洗い流した。ジャケットを脱ぐと部分的に泥で汚れている白いブラウスが顔を出した。川から引いている水ということもあり、かなり冷たかったが、この暑さの中、逆にその冷たさが気持ちよく感じた。
ある程度泥を洗い流したとはいえ、白のブラウスの泥染みはもう落ちないことは分かっていた。また、スーツのスカートとジャケットの生地はかなりのダメージを受けたので、もう着ることができないであろうことを覚悟した。しかし、絵里子はそれでよかった。今までうまくいかなかった就職活動と今着ているリクルートスーツに決別するからだ。
絵里子は二度と着る事はないであろうリクルートスーツをまじまじとながめた。中学卒業の時に制服のまま泥だらけになったあの時と同じように気が晴れてすっきり感じるのだった・・・・。
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