研修前にスーツで川遊び…ストーリー公開
今年の夏は大学卒業を控えた絵里子にとって思い出深いものとなった。美沙と一緒に大学のキャンパス近くの川でリクルートスーツや私服のままずぶ濡れになって遊んだことは強く記憶に刻まれていた。
川の水は冷たいが、異常気象ともいえる昨今、酷暑日にせまる炎天下ともなれば逆に川の水は気持ちよく感じた。その感覚が絵里子にとってなんとも言えない快感であった。
先日、絵里子はお盆に実家に帰れなかったため東北地方に住む両親に電話で話した。その時に内定の報告をし、母親は特に喜んでくれた。内定式や入社前の研修などでスーツを着る機会が増えるだろうということで、気前よく「内定祝い」にスーツを買ってくれるということになった。
一昨年、地元に帰った時、絵里子は母親と一緒に自宅近くのスーツ量販店でリクルートスーツを購入したことをふと思い出した。まさに、この前、美沙と川遊びした時に着た黒のリクルートスーツであった・・・。
絵里子は入社後も着れるようにと、今回は濃紺のスーツをリクエストした。一昨年と同じサイズであることを伝えた。
電話では他にもたわいもない話をしたが、東北地方ではそろそろ初秋の風が吹き始めているとのことだった。絵里子が下宿している地域はまだ残暑で暑いが、秋の訪れが近いことを意味していた。絵里子は次に美沙と川遊びするのがおそらくラストチャンスになるだろうと感じた・・・。
・・・数日後・・・
絵里子と美沙は一緒に川遊びに来ている。
二人ともスーツ姿だ。美沙はこのまえと同じであったが、絵里子はなんと母親に送ってもらったばかりの新品の濃紺スーツであった。無地で見た目はオーソドックスなリクルートスーツで2ボタンであった。絵里子は、研修前に新品スーツで水遊びをするというドキドキ感、背徳感を味わいたいと思ったのだ。
二人は過去2度の川遊びのように早く水の中に入ろうとしたが、今日はそうはいかなかった。川には先約が大勢いて、想像以上に賑やかであったのだ。
夏休み最後の思い出に遊びにきたのは絵里子たちだけではなかった。小学生や中学生の生徒が服のまま川遊びをしている光景が目の前に広がっていた。中には学校の部活か何かの帰りなのだろうか学校の制服のままずぶ濡れになって楽しそうにはしゃいでいる女子高生たちの姿もあった。これぞ青春。この辺りでは夏の風物詩だ。
毎年このような光景を絵里子は眺めながら彼女らを羨ましく思っていた。しかし、今年は美沙という道連れの同伴者と共に、自分が羨望の眼差しを向けられる対象になっていると思い込み、喜びをかみしめているのであった。
絵里子と美沙はスーツ姿のまま、川の中に入っていき子供たちの中に参戦していく。ビーチボールで遊んだり、パシャパシャと水をかけ合ったりした。スーツには否応が無しに水がかかるが、絵里子のスーツは最初のうちは水をはじいていた。新品のスーツという事をはっきりと物語っていた。
しかし、川の中に下半身を沈めたり、しゃがみこんだりすると当然のことながら冷水でスーツはずぶ濡れになっていく。絵里子はなぜか持参した浮き輪をとりだして童心に戻って浮き輪の上に座って浮こうとしたが、浮き輪が小さすぎるせいで見事に撃沈してしまい、さらにスーツはびしょ濡れとなってしまった。
しかし、絵里子は新品のスーツでこんなことをしている自分のことを幸せに感じていた。濡れてもいいような服装ではなく、濡らしたりしてはいけないような服装のまま水遊びするのが水遊びの醍醐味だと感じていた。そのことは、同志である美沙も同じだった。
二人はスーツ姿で水遊びをするのは、今日が最後になるだろうと感じていた。来年からはお互い別々の地方にいき社会人としての生活が待っている。社会人と学生との間の居心地の良いモラトリアム期間がもうじき終わろうとしていることに寂しさを感じた。
二人はしばらく夢中で川遊びをしていた。永遠の時が流れているような感覚で、このまま時計が止まってほしいという願望は、当然叶うはずもなく、いつしか西日が差し込み、風が肌寒く感じはじめた。この前、絵里子が感じた風とは明らかに違った。確実に秋が迫っているのだ。
子供たちは川の中に潜って元気に遊んでいる。絵里子たちには真似のできない芸当であった。二人はずぶ濡れのスーツ姿のまま川岸に上がると帰り支度を始めた。タイトスカートやジャケットの裾からはポタポタと水が滴りおちていた。(完)
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