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2012年7月14日 (土)

非日常世界へのいざない(2)


 (1)はこちら


 土曜日の朝、絵里子は目覚めると部屋のカーテンをあけ、部屋を明るくした。気持ちのよい朝だった。
 今日は大学の講義はないが、午前中に某金融機関の最終面接が控えていた。絵里子にとっては本命の会社ということもあり、ここ数日はそのことで頭がいっぱいだった。

 絵里子は何気なく壁に掛かったクロックを見ると、一瞬目を疑った。面接は午前10時からだったが、既に8時をまわっていた。目覚まし時計をかけ忘れたせいで、1時間ほど寝坊してしまった。
 絵里子の自宅から面接会場までは急げば1時間くらいで行けるが、1時間半ほどの余裕をみておいた方が良い。これからリクルートスーツに着替えて身だしなみを整える時間を考えると朝食を食べてる暇などない。

 当然とはいえ、昨夜のうちに面接の準備は出来ているし、午後からの映画サークルの撮影のためにセリフも再度確認し準備万端であったので、リクルートスーツに着替えたら体身一つで面接会場に向かうだけでよいのが救いだ。
 パンストを穿き、昨日、クリーニングから戻ってきた白のレギュラーシャツや黒のリクルートスーツを手際よく着ていく。タイトスカートもシングルの2ボタンジャケットも皺がなく綺麗な状態であった。髪を整えるのにちょっと手こずったが8時半ちょっと過ぎに家を出ることができた。色々な資料が入ったリクルートバック、午後からの撮影で使う衣装やタオルや台本の入ったボストンバッグを持つと、最寄駅までパンプスをコツコツと鳴り響かせながらアスファルトの小道を駆けた。

 首尾よく最寄駅からはすぐに急行電車に乗ることができた。ラッシュの時間帯から外れていることもあり車内は比較的すいていて、所々に空席もあった。
 家から駅まで走ったことで体は火照りすこし汗ばんでいた。バックを左右の手にそれぞれ持っているうえ、ちょっと足が疲れたので、座りたいと思った。しかし、スーツに皺ができることを嫌って立っていることにした。
 最終面接を前に徐々に緊張してきたが、絵里子は持ち前のプラス思考と最終面接までこれたという自信に満ち溢れ、緊張感を振り払うことができた。

 ~面接後~

 最終面接を無事にこなし、面接に同席していた役員の反応も良く、既に最終面接を前にして内定は決まっていたのではないかと思うほど和やかな雰囲気で、会話も弾んだ。そのため、絵里子は内定を確信した。

  面接をした会社から最寄駅までは歩いて5分くらいだった。絵里子は駅へ向かって歩きながらスマホでメールの確認をしていた。
 「==予定よりちょっと早くこれる?ハプニング発生。」
 自主映画制作の監督で恋人でもあるヒロシからのメールだった。絵里子は就職活動とサークル活動(自主映画制作)、さらには、大学の授業やアルバイトと普通の大学4年生並みに忙しい日々を送っていた。
 「==うん、わかった。今、面接終わったところ。1時頃には着けるかな。そのくらいで大丈夫?」

 メールの返事を送信すると足を早めた。駅の近くにファーストフード店が見えた。朝食を食べなかったせいもあり、かなりお腹が空いていた。
 これから撮影であることを考えると、何か軽く食べておいたほうが良いだろうと絵里子は思った。

 「==それでお願い!」
 すぐにヒロシから短文メールが戻ってきた。
 ハプニングってなんだろう?・・・絵里子はフライドポテトをつまみながら考えていた。昼食をあっという間に済ませると、ゆっくりくつろぐ暇もなく撮影現場へと向かった。最寄駅までは電車を1回乗り換えて30分ほどかかる。駅からは現場の公園までは歩いて5、6分といったところだ。

 撮影現場へ向かうには途中、河川敷の堤防を歩くのだが、川の水面がキラキラと反射しているのが綺麗だった。こんな暑い日には水浴びでもしたら、気持ちいいだろうなと思った。
 しばらく歩いていくと、ヒロシや他のスタッフ達の姿が見えてきた。雨降らしのリハーサルをしたのか、撮影で使用するはずのグラウンドの脇は少しぬかるんでいるらしかった。
 「あっ、絵里子。悪い。」
 ヒロシの視線の先にリクルートスーツ姿の絵里子を確認した他のスタッフたちは、同学年、下級生まちまちであったが、それぞれの立場に応じた挨拶をした。
 早速、ヒロシからハプニングの内容が伝えられた。
 「今日さ、例のシーンなんだけど・・・」
 「何?」
 「雨降らしの装置、相手の都合で予定より早く返さないといけなくなっちゃって、少し撮影を早めようと思ってさ。悪いけど、すぐ例のシーンはじめたいんだ。」
 「だったら、電話でそう言ってくれればよかったのに。ランチ済ませてきたから、その分、来るのがちょっと遅くなってしまったわ。」
 「まあ、そこまでしなくてもいいけど。それに今日、本命の最終面接とか言ってたし、状況わからなかったから。それより、早く着替えてきたら?」
 「うん。」

 絵里子は朝自宅を出るときに持っていた着替えの入ったバックを置き忘れてきたことに、今この瞬間になって気がついた。頭が真っ白になった。
 リクルートバックと一緒に面接会場に持っていくには荷物になるので、朝、面接を受ける前に、会社の最寄駅のコインロッカーに預けておいたのだった。

 「・・・・・」
 困った表情になった絵里子をみてヒロシが声をかけた。
 「どうかした?」
 「撮影で着る衣装、忘れてきちゃった。」
 「忘れてきたって・・・。」
 「違うの。朝、ちゃんと忘れず持って出たんだけど、面接行く時、駅のコインロッカーに入れて、そのこと忘れてここにきちゃったの。今から急いで取ってくる。往復1時間ちょっとかかるけど。」
 「無理だって。3時までしか雨降らし機借りられないんだから。レンタル料金なんとか払って、スタッフだって無理言って何とか今日揃えたんだから、延期するなんてできないし・・・」

  監督のヒロシの立場としては、絵里子には申し訳ないが、リクルートスーツで撮影に臨んでくれる事を願うしかなかった。しかし、クリーニング仕立てだということがはっきりと分かる黒のリクルートスーツを目の前で見ていると、自分からそのことを言い出すのは、さすがに気が引けた。

 絵里子がヒロシの顔をチラリと見て様子を伺うと、困った表情で何かいいたげだった。自分だって困っているがヒロシも困っている。どうしたら良いのか、困り果てながら絵里子は視線を下に落とし、その視線を自分が着ているジャケットからタイトスカート、そして足元へとさらに落としていった。
 「(クリーニング仕立てなのに・・・)」
 絵里子はフゥーとため息をついた。
 「何?」
 「スーツのままでいいから、撮影はじめようよ。」

 ヒロシは、申し訳なさそうに絵里子の顔とリクルートスーツを見つめた。
 「何じろじろ見てるの!」
 ヒロシは安堵と絵里子に対する罪悪感が入り混じった複雑な表情で、スタッフたちに指示を出した。
 「みんな始めるぞ!準備!」

 ヒロシは絵里子の方を振り返った。
 「絵里子、本当にごめん・・・。」
 「いいよ、このリクルートスーツ、もう着なくて済むと思うし。」
 「どういうこと?」
 「多分、今日のところ内定取れると思うから。」
 「すごい自信。」
 「自信っていうか、今日の面接、就職の意志の確認とか、そういう話ばかりだったから。」 
 「なるほどね。それはともかく、絵里子の・・・そのリクルートスーツ・・・。」
 「・・・予算は出せないよ、でしょ?(笑)」
 「あっ、まあ・・・。(笑)」
 「衣装置き忘れてきた自分が悪いんだし。リクルートスーツ姿だけど、雨に中でもちゃんと演技するからね。どうせなら、この前よりの派手にやっちゃおうかな。」
 「でも、NGださないでね!(笑)」

 二人の会話を遮るように助監督が報告に来た。
 「監督、OKです。」
 雨降らし機のスタンバイもできたらしい。
 他のスタッフ達や、絵里子の恋人役の後輩は、絵里子がリクルートスーツ姿であることに驚いているようだ。
 絵里子はリクルートスーツで撮影に臨むことになって、帰宅時のことが気になったがいまは撮影に集中しようと気持ちを入れ替えた。他の現場のスタッフたちは、ほどよい緊張感に包まれながら、今まさに始まろうとしていることに意識を集中していた。

 恋人役が傘を広げた。
 「よろしくお願いします。」
 絵里子も現場に置いてあった傘を広げた。
 「こちらこそ。」
 グラウンドの真ん中あたりむけて人工雨が降り注ぎ始めた。徐々に雨足が強くなってくると、合羽を着たカメラマンや音声、数名のスタッフが雨の中へと入っていった。
 地面が水を蓄えはじめ、やがて所々に水たまりができた。

 監督に促され、恋人役の二人も傘をさしながらザーザーと降り注ぐ雨の真下へと歩いて行く。二人の傘を雨が強く打ちつけている。絵里子のパンプスは泥跳ねで汚れはじめ、スカートやジャケットには水しぶきがとんでいた。

 お互い顔を向かい合わせ、絵里子は恋人役の男の顔を見上げてながら
監督の合図を待っていた。 ~(3)へ続く~

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非日常世界へのいざない(2)を参照しているブログ:

コメント

>ココーズ さんへ

こちらこそ、いつもありがとうございます!
私はウェットやら泥んこやら色々と興味がありますが
(リクルートスーツやOL制服着用というのが根底にあるフェチ趣向です)
ウェット分野においては、ココーズさんの趣向と非常に
近いものを私も以前から感じております。

仕事で忙しくストーリーの発表ペースは遅いのですが、
次回もまた楽しみにしていてください。
これからもよろしくお願いいたします!

いつもありがとうございます。
趣向としましては、私と全く同じではないにしても、ストーリー構成は素晴らしいと思います。
「リクルートスーツのまましなければならないはめになる」という状況への持って行き方が本当にいいと思います。
以前私が作った「美しき友情」と共通するものを感じます。あ、これは決して模倣されたという意味ではなく、自分と相通じるものを感じ、親しみがある、という意味です。
このあとも楽しみにしています。

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