よく晴れた昼下がり、絵理子はリクルートスーツを着てとある地方の田園地帯を歩いている。就職活動の面接帰りである。
・・・高校までは両親と姉と一緒に東京で暮らしていたが、今は地方のある私立大学の近くに下宿している。というのも絵理子は幼い時から喘息もちで、医者が言うには一番の薬は「綺麗な空気」ということだったが都内に城を構え、生活の基盤を置いている家族にとって、自然豊かな地方移住はすぐには難しかったからだ。
そんなこともあり、絵里子は大学進学する際は地方の大学に行こうと決めていたのだった。今や生物学科の4年生となり両生類を研究している「リケジョ女子大生」である。地方に来てからというもの喘息が嘘のように治った。
喘息がなくなり体調の不安がなくなった絵里子は心身ともに元気になり、明るく活発な女子学生としてキャンパスライフを送り、部活動は女子ソフトボール部に属していた。今、この瞬間は大学卒業研究の準備と就職活動で忙しかった。
就職先に関しては、住み慣れたこの田舎町で・・・喘息から解放されたこの地域で・・・と決めている。また都会に戻ると喘息が復活してしまう不安もあったからだ。理系に属しているもののそれを活かした就職先というこだわりはなく、自分の体のことを最優先に自然豊かなこの地域で就職できさえすれば業種も職種も何でもよいと思っている。人手不足の地方での就職なのですぐに決まるだろうと楽観的に考えていた。
入学してからこの方、大学では両生類の研究に没頭していた。
しかし、研究の成果が芳しくなく、研究に必要な生物を中々捕獲できないでいた。このままでは卒業研究が遅れてしまい、卒論も書けず、挙句の果てには留年となって卒業できないかもしれない。
普段、研究材料を捕獲しに行くときはフィールドワークで野山や田園を歩き回るため動きやすく汚れてもいいようにジャージなどの服装が常だった絵理子にとってリクルートスーツの窮屈さは不快だった。
そして今日、とある会社の面接帰り、絵里子は就活のことよりも遅れている卒業研究のことで頭をいっぱいにしながら歩いていた。しばらく見慣れた田園地帯を左右に見ながら小道を歩き続ける。キャンパスまでは歩いて10分くらいの場所だ。
ここ数日間の面接は緊張の連続で疲労が溜まっていたが、フィールドワークでよく訪れている田園風景を眺めて肩の力が抜ける感覚であった。稲が青々と育つ田んぼを眺めつつ散歩感覚で歩いていると作物が植えられていない休耕田に出くわした。休耕田とはいえ、管理がしっかり行き届いて、あまり草が生えていない。遊び場として開放されているので、この辺りでは「泥んこ遊び場」として知られていた。水道や洗い場も完備されていた。人が出入りする休耕田なので生物はそれほどいないだろうと絵里子はノーマークの田んぼだった。
しかし、たまたま何気なく休耕田の中に目をやると田んぼ中でなにやら生物がいるのが目に飛び込んだ。
「まさか!」
と絵里子は思った。反射的に体が動いていた。フィールドワークの時と同じように今自分がリクルートスーツ姿であることを忘れ、「捕獲モード」にスイッチが入っていた。肩にかけていたカバンを投げ捨てると躊躇なくパンプスのまま田んぼに飛び込んでいた。
泥の飛沫があがりタイトスカートに泥がつくのも構わず進もうとするも柔らかい泥にパンプスが埋まり数歩も進まぬうち立ち往生してしまう。絵理子はパンプスを脱ぎ捨て、先ほど生物が動いたと思われる方に向かって進んでいく。歩きながら左右を見まわし生物がいないかどうか探す。
さらに田んぼの奥の方へと足を進めると目標の生物まであと一歩と迫った。絵理子は息を整えると一気に飛び掛かり両手で生物を掴む。
うまく捕獲できたが、その代償としてリクルートスーツの前面は泥だらけになってしまった。しかし、絵里子はスーツが汚れてしまったことなどどうでもよかった。生物を捕獲できたことが何よりも今は嬉しかった。
もっと生物を探そうと田んぼの中を歩き回るがさすがに疲れ、泥の中に座り込んでしまう。すでにスーツは泥だらけなので気にならなかった。休みながらもあたりをキョロキョロしながら生物を探す。トンボやカエルなどには目もくれず珍しい生物を探していた。
また向こうの方で何かが動くのに気がついたので急いで立ち上がり移動した。移動中に足をとられて何度も転んでリクルートスーツはさらに泥で汚れていく。
動きやすくなるために絵里子はジャケットを脱ぎ、無造作に泥の上に放り投げる。そして、また生物を探し回る。しばらくすると、また珍しい生物が目に入ったのか、そちらの方に向かって走っていき飛び込んだ。
「バチャーン」と泥の飛沫が上がる。絵理子は泥の海にうつ伏せで横たわってしまった。今朝、初めて袖を通したばかりの新品の純白のブラウスも泥で茶色に染まってしまった。
全身泥まみれのまま畦道に戻った絵理子は田んぼの脇の畦道に座り込んだ。一息つくと泥まみれのリクルートスーツが頭を過った。首から上を除いて全身泥まみれのうえにブラウスの袖やタイトスカートの裾からは泥が垂れていた。
泥だらけの自分の姿を見て子供のころのことを思い出した。
・・・お姉ちゃんと一緒に近くの公園で泥んこ遊びをしたことだった・・。
すると、絵里子は童心に戻って泥んこ遊びに興じた。スカートとブラウスは前も後ろも泥だらけで、元々どのような状態だったのか、ブラウスとタイトスカートの境目が分からないほどだ。
ぬるぬると生あたたかい泥の感触が気持ちよく絵里子は泥の中で何度も寝転がったり、うつ伏せになって這ったりした。時間を忘れて泥んこ遊びをしていると、日が暮れ始めていた。気温もやや涼しくなってきていた。
絵里子は先ほど脱ぎ捨てたジャケットやパンプスを田んぼの中から回収すると、田んぼの脇の水場に行って必死になって泥を流した。いくら流しても出てくる泥に手間取りながら表面の泥をある程度洗い流すことができた。
自宅まで歩いてもそう遠くはないし、この田舎町なのでそう多くの人に自分の姿を見られることもない。
卒業研究の材料としては十分な生物というお土産を片手に絵理子は足取りも軽く自宅へと歩いて行った・・・。
【ストーリー】(原作:ロイ)
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