某農業大学野球部には毎年恒例の行事がある。男子部員や女子マネジャーたちの間では学年に関係なくこの行事が盛り上がる。なぜならば、最初に内定をもらった男子部員または女子マネージャーに休耕田で手荒いお祝いをするからだ。
いや、お祝いというよりも、「伝統の恒例行事」という名のもとに内定をもらっていない4年生連中の羨望、僻みを具現化しただけで、何年も前から続いているのだった。
今、休耕田の脇で、今年の「犠牲者」となった絵里子は内定を決めた時の黒のリクルートスーツに身を包んで不安げな表情で立っている。才色兼備ということで学内でとおっているだけのことはあり、リクルートスーツをそつなく着こなしていて、またそれが良く似合っている。第一志望の某大手銀行に総合職として内定を得ていた。
絵里子の着ているリクルートスーツはクリーニングし、少しの間、クローゼットの中にしまっていたのだろう。皺ひとつなくほとんど新品のようで綺麗な状態であった。おそらくは、内定式の際に着ることを前提に保管してあったのだろうが、よりによって泥だらけになるために着用するとは絵里子も想像していなかっただろう。
いまから始まる毎年恒例の行事はというと、年によって微妙に内容が異なるものの、最終的にはリクルートスーツが泥だらけになるということは間違いのない事である。
いよいよ、絵里子はパンプスを履いたまま休耕田の中に足を踏み入れる。泥に足をとられて転びそうになるが、なんとかバランスを保ち、部員たちからの最初の「指令」であるボール探しの開始だ。
絵里子が来る前にキャプテンが休耕田のどこかに硬式ボールを埋めたのだった。それを3分以内に探し当てるというもので、もし時間オーバーしたら、探し当てた後にボールをスーツで拭いて綺麗にしなくてはならない。
絵里子はスカートの裾やジャケットの袖が濡れたり汚れたりしないようにしながらボールを探している。当然と言えば当然のことだが、このことが時間を必要以上に消費していた。またたくまに3分が経ち絵里子の運命は早くも確定してしまったが、絵里子はまだそのことを知らない。一心不乱にボールを探している姿がけなげであり、また哀れでもあった。
やっとのことで探し当てたものの時間オーバーを告げられると、「えー、もうそんな時間たったの?」と不機嫌そうな表情をしてみせるが目が笑っている。昨年までは下級生として先輩たちの運命を観てきたわけだから、最初から自分の運命だって知っていたはずだ。絵里子の表情は演技、そう、それは、部内一の美貌を誇る絵里子の「ぶりっ子」であった。
約束通り泥で汚れたボールをスーツのスカートにこすりつけて拭く。泥の付着があまりなかったのかスカートは思いのほか汚れなかった。すると、周囲の部員たちが
「ボールを泥だらけにしてからもう一度スカートで拭いてみて。」
と注文を出す。スカートだけではボールを綺麗にできずジャケットも使って泥を拭いていく。みるみるうちに先ほどまであれほど綺麗であったリクルートスーツが泥で汚れてしまった。
次は泥田で守備練習だ。グローブはさすがに持っていないので、野球部員の守備練習を真似て守備のポーズをするように指令を受ける。激しく動きなら中腰になりお尻を突き出してボールを捕球するようなしぐさをする。タイトスカートのスリットが引き裂かれそうになると同時に、泥ハネが脚やスカートを汚していった。
守備練習の次はなんと泥田の中でうつぶせになって匍匐前進だ。泥田の中に汚れたリクルートスーツ姿で立っている絵里子に対して、特に4年生男子部員たちの鬼畜な指令が続く。匍匐前進したあとの絵里子は、リクルートスーツの前面が泥ですごいことになっていた。部員たちからの指令はクライマックスを迎えようとしていた。内定を決めた絵里子のリクルートスーツは二度と着る事ができないようになってしまうのであろうか・・・・。泥を手ですくってそれを塗り手繰っていく。
部員たちからの指令は一通り終了した。用水路で泥を綺麗に洗い流す前に、ひとまず休耕田の中の泥水で大まかに汚れを落としはじめた。泥のかたまりは落ちるが、泥水をかけているのでリクルートスーツ自体は汚れたままである。用水路に向かおうとすると、ダメ押しとばかりにキャプテンからの指令がとぶ。
「背中がまだきれいだから、そこで仰向けになってみて。」
「えー、まだやるの!?」
絵里子は休耕田の中で仰向けになって寝転んでみた。ブラウスの背中に泥水が流れ込んできて一瞬ひんやりした。仰向けの状態でスーツの前面についた汚れが気になったので落としていった。
しばらくして立ち上がると、
「最後にランニング!」と黄色い声がした。同じ4年生の女子マネージャーらしかった。
「もう!いい加減にしてよ!」
といいながらも絵里子は笑顔で休耕田の中をランニングしはじめるのであった・・・。
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