絵里子は某不動産会社への最終面接を間近に控えていたが相変わらず忙しい毎日を過ごしていた。大学の授業にアルバイト、卒業論文の作成準備、夏の大会に向けたソフトボール部の練習など、並みの女子学生では音を上げてしまうほどのハードスケジュールであった。
そんなある日、絵里子を含む女子ソフトボール部4年生たちは恒例イベントの企画ミーティングに参加していた。そのイベントとは、卒業を控える4年生たちが最後の夏の大会前に、大学キャンパス内にあるグラウンドに大量の水を撒いてぬかるみにし、その中でユニフォーム姿で泥だらけになりながら体力作りをするというものだ。
ぬかるみの中で裸足で腕立てや腹筋、背筋はもちろんのこと、ランニングやビーチバレーなどを行う。そうすることで足腰も鍛えられ、滑って転ばないようにという意識も働くことから体幹も鍛えられるというわけだ。たとえ転んだとしても、ぬかるみの中なので怪我をすることはない。ユニーフォームが泥だらけになるだけだ。そんなことが女子ソフトボール部4年生の伝統行事になっていた。
しかし、部長でもある絵里子はある提案をした。
「みんな、最近私ね、イベントやるのにうってつけの場所みつけちゃったんだ。今年はそこでやろうと思うの。場所はね・・・。(略)・・・実はこんど最終面接をする不動産会社が所有している休耕田なんだけど、そこを使わせてもらう許可をとったの。」
ミーティングが行われている部室内がどよめいた。しかし、それは絵里子の提案に対する否定ではなく、好奇心からであった。絵里子の提案は満場一致で決まった。
絵里子は前回の面接の最中に、ひょんな会話の流れから休耕田の所有者が不動産会社のものだという事実を知ったのであった。
驚いた絵里子は、何と、人事部の面接官に対して、休耕田で2回もスーツ姿で泥だらけになった経験をカミングアウトしていたのだ。そして、ソフトボール部の恒例行事で使用しても良いかどうかの直談判までしていた。当然、泥んこ遊び用に一般に開放しているくらいなので面接官の回答はYESであった。
イベント当日、絵里子は運命の不動産会社の最終面接だった。面接の手ごたえはよかった。内定を獲得する自信があった。それは、絵里子が面接会場を出るとき、最終面接を担当した役員との次のような会話からであった。
「あっ、ちょっと・・・青野絵里子さん、あなたのことは色々と聞いておりますよ。弊社の休耕田で何度も泥んこ遊びしたらしいですね。今日はその田んぼを使ってイベントだとか。」
「はい、田んぼお借りします。ありがとうございます。」
「今日でリクルートスーツは着る必要はなくなりますから、大学時代の思い出として、そのスーツでイベントに参加してみてはいかがですか?」
「(えっ・・・?)」
「いや、冗談ですよ。(笑)スーツのままではさすがにできませんよね。それでは面接ご苦労様でした。」
「(・・・?)ありがとうございました。」
絵里子はわずか数十秒のこのやり取りで胸の鼓動が一瞬大きくなると同時に、内定を確信したのであった。
部の恒例イベントは午後3時から始まる予定だった。部長である絵里子の裁量で面接後、自宅に戻って着替えてくる時間を考慮して数日前に段取りを決めたのであった。
イベントに参加するための服として用意してある上下白の練習用ユニフォームを取りに自宅に戻るはずであったが、面接開始時間が遅れたせいもあり自宅に戻ってからでは集合時間に間に合いそうにない。イベント開始時間をもう少し遅くからにすればよかったと後悔したが、今となっては手遅れだ。
責任感の強い絵里子は、部長である自分が遅刻するわけにはいかず、やるしかないと思った。リクルートスーツ姿のまま休耕田へ向かう決意をした。
「(あの休耕田と私って何か因縁があるのかな・・・。)」
絵里子は目に見えない何らかの力によって目の前にレールが敷かれていくような感覚に陥った。いつもなぜかあの休耕田へと辿り着くからだ。むろん、潜在意識が顕在化しているとも言えるが、そんなことではなく、何かが自分の背後から糸を引いているように感じるのであった。
絵里子は歩きながら見納めとなるであろうリクルートスーツに視線を落とすのであった。
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