外では下級生幹部によって「メインイベント」の準備が整ったようで部を引退する4年生達は全員、練習用グラウンドへと誘導された。
晴れの日だというのに、グラウンドのダイヤモンドは、まるで雨でも降ったかのようにぬかるんでいた。ただ雨が降っただけなら水たまりができる程度であろうが、下級生達は、「ご丁寧」にホースで水を撒いた後、スパイクで踏みならしたようで特にホームベース周辺は「ドロドロの状態」になっていた。
絵里子は、そういう案配になることを下級生の立場から毎年見物してきたので知ってはいたが、いざ、目の前にすると、その光景は恐ろしいものであった。
例年、このメインイベントでは4年生の男子野球部員が背番号の若い順に、そして、男子全員終わった後に4年生女子マネージャーが苗字の五十音順にダイヤモンドを一周し、水をまかれて泥だらけにされたホームベースを踏むことで「引退」が成立する。昔から部に伝わる引退時の儀式的行事である。
男子は全員、ユニフォーム姿でヘッドスライディングするのが慣習化されている。だが、女子は強制ではない。
ホームベース周辺をぬかるんだ状態にするのは、万一、女子マネージャーが男子達に交じってヘッドスライディングをした場合に、怪我をしないようにとの配慮のためであった。
そうはいっても、この「追い出しイベント」には女子マネージャーは、女子のユニフォームとも言える正装、スーツ姿で参加することになっている。その為、泥の中にヘッドスライディングをするものはまずいない。
大抵の女子は、ゆっくりダイヤモンドを走り、滑って転ばないように注意しながらゆっくりとホームベースを駆け抜けるのが普通である。だが、1、2年に一人くらいは受け狙いで泥の海に飛び込む「いかにも体育会系」の男っぽい性格の女子マネージャーがいるのも事実であった。
その基準で言えば、部のマドンナ的存在であり性格的にもおとなしい絵里子はヘッドスライディングなどするはずがないと誰もが思っていた。だが、酔ってしまえ何が起きるか分からない・・・。
だからこそ、今日の4年生が参加する最後のお祭りイベントでは、下級生の無礼講が許されるため、さきほど後輩の男子達が絵里子に挙ってお酒を注いだのであった。
野球部のマネージャーともなればスーツ着用機会が多いため、最低でも3、4着はリクルートスーツを持っている。しかし、その中の1、2着は着込まれ、よれよれになっていて社会人になっても着れないほどいたんでいる事が多い。
当然、女子マネージャー達はこのイベントで着用するリクルートスーツは、そのような状態で処分しても構わないものを選ぶ。なぜなら、「メインイベント」でヘッドスライディングをしなくても、イベントの締めで下級生、4年生入り乱れての「ビールかけ」があるからだ。
それを知っているにも関わらず、絵里子だけは自分が持っているリクルートスーツの中でも一番状態が良いものを着て参加していた。他の女子マネージャーからみても奇異な行為にうつっていることだろう。
「メインイベント」は着々と進行し、気がつくと男子達はみんな泥だらけになっていた。いよいよ、女子マネージャーの番であった。絵里子は女子の最後の順序であった。当然とはいえ、絵里子の前までの女子マネージャーはみんな慎重に泥はねがスーツにとばないように気を付けながらダイヤモンドを駆けていった。泥だらけのユニフォームを着た4年生男子達も、下級生達も女子の「儀式」は淡々と行われていくものと静かに見守っている。
いつもとちょっと違ったテンションの絵里子が「いきます!」と声を上げると、勢い良く走り出した。一塁ベース、二塁ベースとまわった後、絵里子の走るスピードがやや遅くなった。タイミングを計っているのか、何か考えながら走っているのかのように見えた。
その時、絵里子の心の中では、二塁ベースをまわった途端に迷いが生じていた。先ほど下級生達にお酒をすすめられていた時は、アルコールが入っていたせいもありヘッドスライディングして男子達を驚かせようと内心思っていた。
しかし、少し時間が経って酔いが醒めてくると冷静さを取り戻していた。
「やっぱり、このスーツではとび込めないわ・・・。」
今思えば汚れて処分する羽目になっても構わないように、だいぶ着こなしたスーツで参加し、今着ているスーツは帰りの着替え用にすれば良かったと後悔し始めていた。
あれこれ考えている内に、絵里子は自分が三塁ベースをまわりホームに近づいていることに気がついた。
「えっ、うそ。 あっ、どうしよう・・・。」
心の奥底から沸き上がってくる絵里子の正直な感情が、心の葛藤に瞬時に決着をつけた。絵里子の体は目に見えない何かの力によって泥に引きつけられていった・・・。
今さっきまで賑わっていたグラウンドは、静寂に包まれた。泥の海のホームベース上でリクルートスーツ姿でうつ伏せになっている絵里子。それを、唖然とした表情でながめる参加者達。
しばらくの間、時間が止まった。やがて、絵里子が立ち上がろうとしたが、何とも言えない感覚に襲われて、わなわなと倒れ込んしまい、泥の上にお尻をついてしゃがみ込んでしまった。
しゃがみ込んだ絵里子のリクルートスーツは、当然のことながらタイトスカートもジャケットも体の前面部分が茶色に染まっている。ジャケットとスカートの境目が分からないほどひどい汚れ具合であった。
そして、クリーミーな泥は、絵里子の顔一面、さらには自慢の黒髪にもかかっていた。髪を結んでいる白いレースのリボンも茶色く染まってしまい、派手にヘッドスライディングをしたことを物語っていた。まるで、ガタリンピックかなにかの泥んこイベントに参加したかのような状態であった。
イベント最後の締めの「ビールかけ」では、みんなからビールをかけられ泥を洗い流してもらった。主役はまたもや絵里子であった。
下級生達の記憶に強く刻まれ、部の女子マネージャーの武勇伝として語り継がれていくことは必至であろう。その代償として差し出したのは、昨年、就職活動用に購入した新品同様のリクルートスーツ一式であった。
しかし、絵里子にとって、それに見合うだけの経験と想い出作りができた。リクルートスーツを着て泥だらけになって4年間を締めくくるなど、なかなか体験できることではない。絵里子にとっては一生忘れることができない「青春の一コマ」となった。 (完)
先日、大手専門学校(立志舎グループ)の就職出陣式(関東地区)が開催された模様です。(既に関西や名古屋地区は今月上旬に開催済みです。)
この学校の就職出陣式は、数千人規模でおそらく日本最大規模です。都内で開催される大規模な就職説明会やセミナー規模なみのイベントで、毎年、就職出陣式当日になると、会場周辺はリクルートスーツに身を包んだ男女で埋め尽くされます。
2月という一年で最も寒い時期に屋外で開催されるのが通例となっており、学生達はコートを着ずに参加することになっています。しかも雨天決行なのです!(実際に数年前は雨の中、開催されました。立志舎グループのホームページ内の動画の最後の方でちょっとだけその時の様子が観られます!)
「出陣式」という意味合いを考えれば、雨くらいで中止にしてはならないのは当然かもしれませんが、雨が降らずとも2月の屋外は、さぞかし寒いことでしょう。特にタイトスカート姿の女子学生達には同情します。
先日の関東就職出陣式当日の夜も、会場周辺はかなり冷え込んで、雨も落ちてきました。 もし、雨の降る時間帯がずれて昼間に降っていたら・・・と考えてしまいました。(笑)
そのうち、このイベントの模様はyoutubeや専門学校のホームページで公開されると思います。ちなみに「昨年の模様」はyoutubeにまだ残っているようです。 (完)
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