〇現在・会社の休耕田で
濃紺のベストにタイトスカートという会社の制服姿の絵里子。某不動産会社に勤務し始めて数ヶ月が経つ。
開発予定の土地である「あの休耕田」に見学にきたお客さんが、見学の際に田んぼの中に自転車のカギを落としてしまったらしく、それを探しに絵里子は制服のままスーツ姿の同期の男性と一緒に休耕田の脇に立っている。
「(ほんと、私って・・・)この田んぼに縁があるんだな~~。」
「えっ、なに?どうしたの?」
「(あっ!)何でもないの。いや・・・話すと長くなるから・・・今度ね。」
〇回想・最終面接
「あっ、ちょっと・・・青野絵里子さん、あなたのことは色々と聞いておりますよ。弊社の休耕田で何度も泥んこ遊びしたらしいですね。今日はその田んぼを使ってイベントだとか。」
「はい、田んぼお借りします。ありがとうございます。」
「今日でリクルートスーツは着る必要はなくなりますから、大学時代の思い出として、そのスーツでイベントに参加してみてはいかがですか?」
「(えっ・・・?)」
「いや、冗談ですよ。(笑)スーツのままではさすがにできませんよね。それでは面接ご苦労様でした。」
「(・・・?)ありがとうございました。」
〇回想・内定式後に会社の廊下で
「青野さんだよね?あの日もリクルートスーツのまま田んぼに入って泥だらけになるとは大胆でしたね。君のようなガッツある人材がうちには必要でね・・・。」
最終面接を担当した役員だった。
「(・・・!!!)あっ、先日は最終面接ありがとうございました。御社で頑張らせていただけることになり光栄です。よろしくお願い致します!会社でも泥だらけになってでも頑張ります!(笑)」
「(笑)面白いこと言うね。君なら何があってもガッツで乗り切れると信じていますよ。内定おめでとう!」
役員は微笑みながら絵里子の真新しいリクルートスーツを一瞥すると急ぎ足で絵里子の視界から消えていったのであった。役員の後ろポケットからは、水色のハンカチが無造作に出ていた。何かのマークらしきものが刺繍されていた。
絵里子は花火の形の刺繍かと思ったが、すぐさま、違うと判断することができた。花火のような線の外側に白い花びららしきものが六枚あるのを確認できたからだ。すると、それは「クスの花」を表しているのだと気が付いた。大学時代、生物学科だった絵里子は動植物には人一倍詳しかった。
しかし、役員さんが何でクスの花のマークのついたハンカチを持っているのか分からなかった。何かの趣味同好会のシンボルマークなのか、さては会社のロゴマークなのか・・・その程度に考えていた。
〇現在・会社の休耕田で
会社の夏服制服は紺色のベストにタイトスカートという地味なコーディネイトだ。休耕田の前で男性の同僚と一緒に立っている。
「まじかよ、まさかこんな田んぼだとは思わなかったよ。こんなところで自転車のカギなんて普通落とさないだろ!それはそうと、課長もちゃんと説明しろよな!だからあいつダメんなだよ。まったく!これじゃ、一度会社に戻って、ジャージに着替えてこないといけないじゃないかよ!」
先輩社員の前ではおとなしい男子社員は絵里子の前では同期だからということもあるのだろう、屈託なく言葉を選ばずに不満をぶちまけている。その言動が絵里子との心的距離感も感じさせていた。
「ほんと、そうよね。でも会社に戻って着替えたりしたら時間もったいないじゃない。」
「それはそうだけど、俺たちこの恰好じゃ・・・」
「いいの、わたし、制服のまま探すから。あなたはスーツ汚れるの嫌でしょ。そこで待っててくれればいいわ。」
「青野さん・・・こんな田んぼの中で転んだりでもしたら大変だよ!」
「そんなことわかってるわ。転ばないように気を付ければいいんだから。大丈夫よ。まってて。」
絵里子はパンプスを脱ぎ、長袖のブラウスが汚れないように腕まくりをすると会社の制服のままためらいもなく休耕田の中へと入っていった。
絵里子にとっては、何度もリクルートスーツ姿で泥だらけになった場所なので、服のまま田んぼの中に入ることに対して、これといって違和感はなかった。しかし、同期の男性社員は、不安げに、まるで罰ゲームを受ける同僚女子社員を憐みの表情で見ているかのようであった。
土地の見学にきた人は、長靴を履いてちょっとだけ休耕田の中に入っとのことだ。せいぜい数メートル程度田んぼの中に入って、泥の深さや地盤の質を確認しただけだろう、と、おおよその目安をつけ、絵里子は田んぼの脇から2~3メートル程度のところを隈なく集中的に探し始めた。
「制服汚れないように注意してね。カギ、ただ落ちただけならいいけど、泥の中に落ちた時にお客さんが足で踏んづけたりでもしていたら奥の方に埋まってしまっているよね。そうだとしたら大変だな。」
「そうでないことを祈るわ。」
絵里子は、制服を汚さないように、カギを探索している。さすがに泥の奥底まで手を入れると大変なので、泥の表面部分だけを探していた。しかし、やはりカギは泥の奥底に埋まってしまったのだろうか。お客さんの記憶による情報を頼りに、絵里子は疑わしい場所を念入りに探しているが、なかなか見つからない。
さすがの絵里子もだんだん苛立ってきた。
「このままじゃ、帰れないよ。どこにあるんだろう。」
同僚は返事をするのも億劫らしくだまって絵里子の歩いている方向に向かって田んぼの脇を並行して歩きながら紺の制服を見つめている。
その時だった。絵里子は長らく歩きづらい田んぼの中で中腰でいたからであろうか、体勢を崩してしりもちをついてしまった。下半身が泥の中に埋まってしまった。同僚にとっては衝撃的な光景であった。
絵里子は一瞬
「(やっちゃった!)」
と思ったが、すぐに懐かしい泥の感触を身体が思い出した。このまま全身泥の中に埋もれたい衝動に駆られた。一人だったら、間違いなくそうするのであるが、今は同僚と一緒だ。しかも、お客さんのカギを探しにきている。カギを探しだして早く会社に戻ってお客さんにカギを渡さなくてはならない。
今、ここで、自分の欲求を満たすために、同僚の前で田んぼの中でうつぶせになったり仰向けになったりして、制服を泥だらけにして遊ぶことはどう考えても、狂気の沙汰であった。
しかし、絵里子は泥だらけになる快感を思い出し、泥に埋もれたい欲求を我慢できずにいることも嘘偽りない真実であった。徐々に大胆に制服に泥ハネがとぶように、また、何度も足をとられてしりもちをしたり、泥の奥底に手を入れてブラウスの裾までも汚し始めた。
これはまだ序章に過ぎなかった。
絵里子には今、二つのミッションが存在していた。それはカギを探しだすことと、同僚の前で自然な形で全身泥まみれになることだった。
二つ目のミッションは普通に考えれば遂行しがたいものであるが、しりもちでスカートが泥だらけになっていることは、絵里子を勇気づけた。
「青野さん、だいじょうぶ?俺も、探すよ・・・」
「いいの。こないで。スーツ汚れたら大変でしょ。私は会社の制服だし、帰りは通勤のスーツが会社にあるから。それで帰れば大丈夫だし。もうこれだけ制服汚れちゃったから、気にせずカギ探せる。(笑)」
「(笑)それはそうだね・・・。悪いね、青野さんに任せるから!会社に戻ったら総務部の同期のやつに、新しい制服をすぐ青野さんに支給するように俺から頼んでおくから。」
「総務部に友達いるの?それは心強いわ!」
すると絵里子は、スイッチが入った。
カギを探す体勢としては不自然なほどに前かがみになり、お腹や胸を田んぼの中に沈めていく。そして、泥の奥底に手を入れてかき混ぜて、カギが埋まっていないかと探しだそうとする、むろん見つかるはずがない。
「青野さん・・・何してるの?そんなところでカギ見つかるわけないよ。もっと、こっちの方じゃないの?」
うつ伏せになり匍匐全して同僚が指さした方へと移動する。その様子を見て、彼は、非日常的光景・・・異常ともいえる光景が目の前で繰り広げられていることをただ呆然と眺めているようであった。すくなくても絵里子は彼の表情をそう読み取った。
否。
彼は、自分がいつか目の前で観たいと思っていた光景をついに目撃した興奮、歓喜の思いが表情に出ること隠し無表情を装っているのであった。そして、興味本位に絵里子に素朴な質問を投げかけた。
「青野さんって・・・そういうの好きなの?」
「そういうのって?」
「なんていうのかな・・・。泥んこ遊びしたりするの。ネットでなんか、そんなことをしたり、見たりするのが好きな人がいるって書いてあってさ。そういう写真とか動画とかもあって販売もされてたりするんだよね。俺も何度かそういうの見ているとなんか不思議な気分になってきてさ・・・」
絵里子は彼の言葉をさえぎった。
「あのね、私は、就活中に、ここで、何度も、リクルートスーツ姿で泥だらけになってしまったの。それも偶然というか・・・、必然というか・・・どうしてなのか自分でもよく分からないの。何かに導かれているような・・・。それで、いつしか、リクルートスーツのような普通は汚しちゃいけないような服のまま泥だらけになることに快感を覚えるようになってしまったの・・・。」
「青野さん。(笑)・・・」
「表情をみればわかるわ。こういうの見たかったんでしょ?」
そういうと絵里子は、さらに大胆に泥んこ遊びをしてみせた。休耕田の中でためらいもなく仰向けになった。制服は前も後ろも泥だらけ。ベストの下の純白のブラウスも泥で茶色に染まっていた。
「青野さん、カギも探さないと!」
「ちゃんと探しているわよ!」
「そろそろ本気で探さないとやばいよ。」
「見つからなかったら、制服泥だらけになるまでがんばって探したけど見つかりませんでした、と報告すれば納得してくれるかな?(笑)」
「いや、それは分からないけど。(笑)」
「でも、見つかりそうな雰囲気ないよ~。」
「諦める?」
「もうちょっと、この辺を探してみようか・・・」
そういうと絵里子は体を泥の中に埋めると両手を広げてカギらしき感触がないか確かめる!
奇跡というのは、何気ない、ふとした拍子に生じる事が多々あるものだ。
見つからないと諦めていたカギが、どこからともなく泥の中の絵里子の手の中に現れた・・・。絵里子の根性に対して神様が気まぐれに与えたご褒美ともいえた。絵里子の泥だらけの探索は終わった。
「見つかったよ~!」
今日一番の笑顔で彼の方に向かって歩いていった。
最近のコメント