教育実習生(7)・・・明日だけでいいから
絵里子はずぶ濡れになった黒のスーツ姿で帰宅した。両親や妹はまだ帰宅していないらしい。
鍵を開けて玄関に入り施錠をすると、自分の部屋へと飛び込んでいった。スーツの背中やお尻には泥はねがたくさん付いているだろうと予想はできるが、実際どんな具合なのかは分からない。びしょ濡れになった濃紺のリクルートスーツが入った袋を無造作に机の傍らに置くと、鏡で自分の姿を確認してみた。・・・泥はねどころではなかった。泥はねが重なり合ってジャケットの背中もタイトスカートのお尻から太股の辺りまでは泥を塗りたぐられたかのように一面茶色に染まっていた。どれほどはしゃぎまくったのかが伺い知れる有様であった。絵里子は想像以上の汚れに唖然とした。急いでお風呂場にいきシャワーを浴びながら泥汚れを必死に落とした。そして、ジャケットとスカートを脱いで丹念に汚れている部分を綺麗に洗い流した。
思いのほかスーツが汚れていて、慌てて部屋からお風呂場に駆け込んできた為に、うっかり着替えを持ってくるのを忘れてしまった。いくら自宅で家族が誰もいないといっても、丸裸で2階の自分の部屋までいくのはちょっとためらいがあった。
なぜならば、2階へ向かうそのほんの数十秒の間に家族が帰ってくる可能性だってあると感じたからだ。客観的に考えれば絵里子の懸念が具現化する可能性はかなり低い。しかし、人間、自分が嫌な状況に置かれていると物事をマイナスに考えてしまうもので、今の彼女はまさにそうであった。
綺麗に洗った黒のスーツをもう一度身に纏い、バスタオルでスーツの水分を可能な限り吸収させた。それでもまだびしょ濡れになっていると一目で分かるほどだ。廊下に水滴を垂らさずに2階に辿り着ける程度までなんとかスーツの水分を吸収し、急ぎ足で2階へと向かった。家の構造上、2階に行くには玄関前を通っていく必要があった。まさか、そのほんの数十秒の間に家族が帰ってくることなんてないだろうと思ったが、いざ玄関前にたどり着く間と、階段を上りきるまでは、心臓がドキドキしていた。
何事もなく2階にたどり着くと、スーツの上下とブラウスを脱ぎ、次にパンストを脱いだ。パンストは乾かしても使いものにならないと判断しゴミ箱に捨てた。そして、タオルで体を丁寧に拭き下着を取り替えると、とりあえずTシャツとキュロットスカート姿になった。あとでお風呂に入ってパジャマに着替えるつもりだ。
今脱いだ黒のスーツ一式を着衣水泳でびしょ濡れとなった濃紺リクルートスーツが入っているビニール袋の中に入れた。これらのスーツは、明日クリーニングに出すより他に仕方がない・・・。
今、絵里子の頭を悩ましている問題は、明日着ていくスーツが無いということだ。自分のスーツは3着あるが2着はびしょ濡れ状態で、1着はクリーニング中だ。なんとかしなくては・・・と、考えながら、飲み物を取りにキッチンに行こうと自分の部屋を出た。真っ正面にある妹の部屋のドアを見ると、アイデアが閃いた。
「(私と同じように大学の入学式の時のスーツがあるはずだわ。就職活動はまだ先だし、当面着ないだろうから、ちょっと借りてあとでそっと返しておけば分からないわよね・・・。)」
絵里子は妹のいない部屋の中に入ると、相変わらず全てが綺麗に整理整頓されていることに感心した。ふと机の上にある数冊のファッション雑誌が目に入った。その中の1冊が自分の部屋にあったものだと気が付いたが、その事については、しばらく妹を問いつめない方が良いと思った。
妹が帰ってきて見つかってしまっては話しがややこしくなる。急いでクローゼットの中からスーツを探し出して持ち帰ろうとした。パネルドアを開けると、これまた綺麗に洋服が整理されていた。そのおかげで、スーツなどフォーマル系の衣装が右奥に収納されていることが一瞥して分かった。どうやらスーツは1着しか持っていないようだった。チャコールグレーのリクルートスーツだ。7号でサイズは絵里子と同じだった。ただメーカーによって若干ウエストや身幅等が異なるのだが、今は細かいことを気にしてはいられない。とにかく明日着ていくスーツを確保することが優先だ。クリーニング後のそのままの状態で保管しているのだろうか、ビニールカバーがついたままだ。急いでクローゼットからスーツを取り出した。
何事もなかったかのように自分の部屋へと戻るとビニールカバーをはずし、ジャケットとスカートが揃っているかを確認した。保管状態がよいらしくスーツには虫食いもカビもなくクリーニング仕立てそのものだった。黒に限りなく近いチャコールグレーのリクルートスーツだ。
「(明日にはクリーニングに出してあるスーツが戻ってくるから、明日1日だけでいいから、このスーツを借りればなんとかなるわ・・・。クリーニングに出して元の場所に戻しておけば大丈夫・・・。)」
万一、妹が部屋に入ってきてもいいように、妹のリクルートスーツとビニールカバーを自分のクロゼットの奥の方にしまった。そして、バスタオルを持って鼻歌を歌いながら階段を下りていった。 ~教育実習生(8)へ続く~
>南ちゃん さんへ
第1回目で伏線(妹の存在)を張ってあったのですが、第1回目の公開から
だいぶ時間が経っているので絵里子に妹がいたことが忘れ去れていますよね。(笑)
>靴を玄関に置きっ放しに出来ないでしょうし…
さすが鋭いですね。細部まで読んでお気づきいただき嬉しいです。
絵里子のハイヒールが泥で汚れているであろう事は(ストーリーには書かれていませんが)
次回のストーリー(第8回)の結末の重要なキーワードになっています。
これまた想像だにしない意外な結末になっています。
投稿: OLS管理人 | 2009年9月24日 (木) 22:41
>カナ さんへ
いつも読んでいただきありがとうございます!
こっそり借りた妹のリクルートスーツ・・・の運命は如何に。(笑)
さすがに、人のものを「普通は」濡らしたり汚したりするわけにはいきませんよね・・・普通は。
次回は意外な展開でこの一連の「着衣水泳」のエピソードは終わります。
このシリーズのストーリーもあと2回で終わりです。
最終回=教育実習最終日の設定です・・・ということは?(笑)
投稿: OLS管理人 | 2009年9月24日 (木) 22:28
あらら、何とも意外な展開が待ってたんですね(^^;)それはさておき、同じく泥だらけにしてしまったであろう靴を玄関に置きっ放しに出来ないでしょうし…絵里子がどうするのか、ちょっと気になります(笑)
投稿: 南ちゃん | 2009年9月24日 (木) 18:26
妹のスーツへ手をのばすとは予想外の展開!
今度こそ替えはないのだから、
こりゃ絶対に濡らしたり汚したりするわけにはいきませんな
気になります
投稿: カナ | 2009年9月24日 (木) 03:16